2019.7.27 宇品花火大会


  















2年後 四国遍路の宿題を果たすために
あの時と同じ日 27日

5時起床。まず、ストレッチ体操をして身体をやわらかくする。
その後、シャワーを浴びて目を覚ます。親父さんは、多分私とはそんなに年齢は変らない。 ...
大声で、無神経にも思えるしぐさをする親父さんと歩くことにしたのは、親父さんが「宿は同じだけど道中は以前のように別にしよう。
私は、途中から車やバスで行くかもしれないから。 」ということで、同行が決まった。

6時なった。いくら待っても食事に出てこない、部屋に行くと横になっていた。先に食べてくださいということだったので、1人で食道に降りて行った。
池田さんはすでに食べ終わっていた。
遍路をしているときは、早く出かけたいので、約束の時間よりは早めに食堂に行くようにしていたので不思議には思わなかった。
池田さんは、食事後すぐに出発していった。
6番近くまで行くとのことだった。30km弱、連続して歩いている遍路さんにとっては、無理のない距離だろう。
私たちは、今日が初日なので、安全を考えて20kmの10番に宿泊することにしていた。池田さんとは、もう会うことはない。

結局親父さんは食事もとらないで先に出発してしまった。不意をつかれて、私が遅れて出る羽目になった。

親父さんから88番は、以前お参りしたから行かない。と聞いていた。
私も前日お参りしたので、行く予定にしていなかったが、早朝の気持ち良さに惹かれて行った。
親父さんは、誰かの手紙を出して、ベンチに座り泣いていた。
多分息子の手紙ではないだろうか。
奥さんの死去・息子の自殺・会社の倒産と続き、生き甲斐をなくして酒に走ったと言っていた。
前回の四国出発の前も、格子のある病院で隔離されていて、車椅子の生活をしていた。四国から帰っても、また、病院に入ったと聞く。

そんな親父さんだけど、嫌いになれない。 自分の弱さを鏡で見るよう思いがする。

親父さんを残して出発。
その場にいたバイク遍路の人が門前にいたので、その人のカメラで撮ってあげる。
宿を通り過ぎようとすると「お遍路さん」と呼ばれて、私が今お遍路をしているのだと自覚した。
古女将が親父さんのことを心配していた。道を間違えてはいないかと、若女将は、4km先のバス停まで送ろうかとも言ってくれた。
ひたすら坂道を下って行く。道は舗装してある、いたるところで拡幅工事が始まっている。
1時間ほど歩くと標識があった。そこで15分くらい休んだ。後ろには親父さんしか歩き遍路はいない。
車かもしれないので、いつ追い越されるかはわからない。
歩き始めると、池の周りに5人くらいの人が集まって話しをしている。「何かいるのですか?」「池の水の色が茶色になっている。
魚はいるんだがね。」10番札所への道が間違いないか尋ねると、間違いない。
このまま行けば、大きな道に出るので、そこを右に曲がり、あとはまっすぐ行けば着けると教えてくれた。
しばらく歩くと二股の道に出た。どちらか迷っていると、遍路マークがあったので、マークにしたがって右に曲がった。
だんだん臭覚のようなものが備わり、道に迷いにくくなる。思い出してきた。

大きな道路に出ると、バス停のベンチにおばさんが座っていた。
「座っていいですか」と聞きながらしばらく座って休んだ。午後の病院へ行くために待っていると言っていた。9時20分くらいのバスだった。
5km弱を来ている事になる。宿を出発したのが7時15分くらいなので、お寺により来たので、1時間30分くらいで到着したことになる。
時速4.5kmくらいになる。以前は、普通でも5km、早いときは6kmを越していたのがうそのようだ。
5分くらい座ったあと、大きな道を下り始めた、ひたすら下り道という感じだ。
案外膝に来るので、気をつけて歩く。追い討ちのように、猛暑。
コンクリートの道を歩くのは、照り返しが強く厳しい。遍路道の方がはるかに楽である。
日陰もなくただただ歩道を歩くのみ。地図を見ながら現在位置を確認する。バス停がいい参考になる。
曲がり角から約15kmで目的地に着く計算。時間にして3時間から4時間と思われる。
ペットボトルの飲み物は、すぐになくなってしまう。
幸い幹線道路なので自動販売機はたくさんある。
掘削現場にもあった。太陽は昇るに従い、じりじりと照らす。時々、雲に太陽が隠れると嬉しくなる。

トイレ付きの公園に行き、30分くらい横になった。
靴を脱ぎテーブルに寝る。
しかし、横が牛舎だったのでとにかく臭い。川原に出られるようになっているが、雨が降ってないので水量がなく汚い。
顔を洗うことも出来ない。一旦ここで、水分が底をついた。これで3本目。
重たい身体を起こして、再び歩き出す。太陽の熱はますます増してくる。
だらだら歩く。足の裏が痛くなってきた。暑いので、靴下を2枚重ねにしなかった。
傷が大きくなる前に、靴下を履いた。少し靴が窮屈に思えたが、足の裏は楽になった。
ダンプカーの通過道路らしく、ひっきりなしに突風を巻き起こして走っていく。
まだ、曲がり角につかない。曲がり角から4kmくらいで10番札所に着くはず。ここからは、幹線道路ではなく旧道に入る。
狭い道を車が来るので危険は危険だが日陰が少しあるので楽しみ。古い町並みが少しでも残っているので、目の保養にはなる。
田んぼや学校の裏手を見ながら、少し高台の道を行く。右手の下には幹線道路らしき道に車が頻繁に往来しているのが見える。
途中、自動販売機が見えたので、新しく買いなおす。もう何本飲んだか覚えていない。
水分が欲しい。
水ではだめだということが前回で判っているので、サプリ系のドリンクを買って飲む。

何を考えながら歩いているのだろうと、客観的な自分がいる。
前回の遍路のこと、宮島の制作物のこと、ビル管理のことが次々と頭に浮かんでくる。結構忙しいのである。
狭い旧道なので、車が来ると避けねばならない。拡幅しているところが歩道なので、水路の空気穴が続く。
うっかりすると、その溝に金剛杖が入り込んで、抜けなくなるので気楽に突いて歩けない。
荷物がだんだん重くのしかかってくる。カメラや腰につけた交換レンズ入りのウエストポーチ、ペットボトルが腰に食い込む。
地図も逆打ちの格好なので、目印のステッカーも少ない。
あれでも、お礼参り用にと、曲がり角に時々貼ってある。ぼーと歩いているとよく見過ごす。

やっと、見覚えのある道に出た。地図といっても歩き遍路用なので、幹線道路が必ずしも太く書いていない。
地元の人に見せても判らないという。実際、指示された道のそばに国道が走っているが、地図には載ってないことも多い。
基本的には、旧道を選んでいるので、錯覚をおこす。見覚えのある曲がり角を左折すると、お寺に参道に入った。
懐かしい。うどん屋さん、表装屋さん、今晩泊まる坂本屋もあった。
急な細い坂道を、最後の力をしぼって登ると、いったん広い道路に出て、山門に着いた。かなり荒れた感じの山門である。
四川省の青城山の山門に風貌が似ている。勿論、中国の方が立派である。
山門で挨拶をして、中に入って行くと右手にトイレ・駐車場とベンチに水道があった。ここでしばらく休憩をすることにした。

まず、頭から水をかぶり、顔を思いっきり洗う。
靴を脱いでベンチに横になった。その間も、車で来る遍路さんは多い。
さすがに、1番から来る方なのだろう参拝客も多いような気がする。10番札所切幡寺は、333段の階段があることで有名。
ここからは、延々と階段を登って行くのです。途中には、男坂・女坂というのもある。さすがに疲れているのか、一気に上ることが出来なく何回も休んで登った。
本堂・大師堂も懐かしい。前回、2日目にお参りしたお寺である。
それまで平坦な道を歩いてお参りしていたが、初めての山寺、しかも333段の石段を登らされ、四国遍路の厳しさを実感したお寺です。
ここからが、本当の厳しい道のりになったのですが、あの当時は予測も出来ず、なめてかかった矢先の10番札所は、印象に残りました。
今回の参拝で、一応四国を数珠のようにつなげて1周したことになります。
駐車場のベンチでビニールに入れていた、2年前の地図を忘れてしまった。もう、必要がなくなったのかもしれない。

しばらく、本堂の横に座り休憩していました。前回大師堂の前の石仏を写真に撮ったのが目に浮かびました。
立ち上がり、足を引きずるように今度は石階段をくだります。
お参りの方は、年齢の幅も広く続いていました。山門を過ぎた頃、団体の遍路さんが来ました。
お参りを団体さんと一緒でなくて良かったと思いながら、宿まで行くと、親父さんがふらふらしながら到着しました。

てっきり、交通機関かお接待の車で来るのかと思いましたが、全行程歩いたそうです。
私は、親父さんの根性に敬意を評しました。絶対に無理と踏んでいました。
本人いわく「バスに乗ろうと思ったが、乗り遅れたので仕方なく歩いたよ。
道中、コンビニか酒屋はないかと探したが、お店がぜんぜんないので困った。」と。
確かに旧道なので店らしきものは全くなく拍子抜けしたでしょう。
宿に入ったがいくら呼んでも誰も出てこない、時間帯が早いので、誰もいないのかと思ったが、念のために電話をかけてみると奥から出てきた。
昔の宿というよりか、増築を重ねた、山小屋の宿のようで、階段は旧で陰気くさい。
昨日の八十窪とは、出来た時代が違うようだ。部屋の中は暑い。親父さんは、ビールを1本飲んで、10番札所にお参りに行った。

私は、洗濯機を借りて、洗濯をしながら風呂に入った。300円の使用料だったが後清算ということだった。
昼食を食べてなかったので、近所に食堂はないかと訊いたが、ないということなので昼食は抜きとなった。
それを知ってか、パートさんの都合か、4時30分になると、夕食の用意が出来ましたと言われた。
いかにしても早すぎるので5時にしてもらった。他にお客がいないから、早く帰りたかったのだろう。
親父さんはゆっくり食事をしなくてはならない。私もわざとのんびり食べることにした。
ビールも余分に頼み飲んだ。親父さんは機嫌よく、息子夫婦の話をしていた。
「逆玉なんですよ。」先方の母親は、画家で1年の半分は、イタリヤやフランスにいるらしく、帰ってくると個展を開催して、1点数百万で販売している。
旦那は商社マンで半分くらいはアメリカに行っているとのこと。
今年の1月2日に、結婚したいと突然孝太郎が言ってきたので、慌てて挨拶に行った。
と上機嫌で話してくれた。食事が済んでからは、夜が長い。
疲れをとるには眠ることが一番なので、布団の上に横になり映りの悪いテレビを見ながらごろごろしていたら、いつの間にか眠っていた。
親父さんが部屋に入ってきて翌日の計画を相談した。
目が痛くて、適当にあいづちを打って相談終了。翌朝までうとうとした。


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