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あんたはええ時に来た
と言って撮影許可をくれた











濱田守太郎氏との出会い
私にとって濱田守太郎という人は、瞬間的に出くわした人ではありましたが、運命引き寄せられるような出会いでした。初対面ながら、昔から知り合いのように自室の炬燵に招かれ、座った瞬間からカメラを向けていました。理由も聞かず話しかけてくれながらの撮影でした。
「あんたはええ時に来た。しっかり撮ってくれ。」
私にとっては、文弥人形についての知識はほとんどありませんでした。一冊の濱田守太郎という本を、前年の夏に岩谷口で(佐渡島)の民宿で見たのが始まりでした。
濱田守太郎という人に会いたいと思い、冬の佐渡島を訪問した時に立ち寄ることにしたのです。まあ、会えればそれで良いかといった程度で撮影まで気がまわりませんでした。すでに多くのカメラマンが、濱田守太郎しして文弥人形を撮っています。いまさら撮ったところで、到底かなうわけもなく、会うことで自分自身の支えになればと思っていました。最初は、まあ来たかといった具合の様子でしたが、段々と「気」が入って来るのが分かり、これではなぎ倒されてしまいそうな気配になってきたので、負けないように不十分ではあるけれども、出来るだけのことをやってみようと思いだしました。
部屋に並べてある人形たちは、じっと私の様子を眺めていました。
「誰だ、手が違う」と突然怒り出しました。「いや、このままでいいですよ」と声をかけたのですが、「いや、待ってろ」
と言って探し始めました。違うといった手は、投げ飛ばしてしまいました。
「いいか、今から人形に魂を入れるから撮れ。」だんだん、濱田守太郎の周りの空気が鋭くなっていきました。鳥肌が立つのを感じながら、ひたすらシャッタ−を押しました。「外の松林で撮りたい。」とお願いすると気楽に承諾してくれ、撮ることが出来ました。
大型カメラで撮ったので、かなり遅いシャッタ−スピ−ドとピントのずれを気にしながら「いいですか、動かないで下さいよ。」「うん、うん」という返事はあるものの、身体が前後に動き、5cmもないピントの許容範囲に入るのを信じて撮りました。「来年、生まれ故郷の矢柄(佐渡)の浜辺で撮りたい。」と言うと「今年の夏に来なさい。矢柄に帰っているから。」
夏を約束して佐渡を離れましたが、それが最後となりました。1998年7月24日に亡くなったことを知らされました。
1999年の冬、約束の矢柄へ行き、遺族の方々の好意で、濱田守太郎の若い頃に使った人形をお借りして、浜辺で撮ることが出来ました。まるで身代わりのような人形たちが、私に姿を見せてくれました。
したがって、この作品展は文弥人形の濱田守太郎というのではなく、佐渡を訪れ写真を撮るなかで、濱田守太郎(文弥人形使い師)との出会いをまとめたものです。

部屋を訪ねて 気難しい頑固な人と聞いていたが、98歳とは思えない。話好きな人。
人形群 部屋の中には、人形がたくさん飾ってあった。
操り ここで、人形に魂を入れてみるから撮れ。鳥肌が立つほど生きていた。
庭にて  松の前で「動かないで」「うん」と言いながら1/8のスロ−シャッタ。もう一枚。
知らせを聞いて 未掲載 銀座の個展「佐渡の風」の最中に知らせを聞いた。
矢柄の浜辺にて  嵐の中、「おじいちゃんありがとう・・・ありがとう」と言いながら撮った。
話にあつた峠  昔、道の無い頃峠を越えて村々を移動したそうな。
ネスパスの写真展  東京の表参道にある、新潟県のアンテナショップのギャラリ−にて写真展。